江戸時代の張形
張形(その呼称と来歴)
文献の中で最も古いところでは、平安時代前期の『古語拾遺』(こごしゅうい)(大同二-八〇七)に、「男茎形」(おはせがた)という記述がある。
すでに一千数百年前に日本では、疑似男根(ディルド)は存在していたのである。
その具体的は使い方を記しているのは、男色を明確に記した 『稚児草子絵詞』(ちごそうしえことば)(元享元-一三二一)である。
この絵草子は、京都の醍醐寺三宝院に秘蔵されたもので、僧侶の男色を克明に描いた文献資料である。
現物が存在すれば、まさに性愛文化の記録として国宝に値する。
この古写本の存在は知られているが、これでさえ元享元年に模写し終わったという記述がある。
徳高き高僧が稚児との性交渉を切に望んでいるので、伺候する稚児を仕立てることになる。
その詞書きには、
まづ、中太と云ふめのと子の男をよびて、ものをばはせさせて、せられつつ、のちには、おほきらかなる張形と云ふ物をもちて突かせ、丁子などをすりて、尻の中へ入させけり。
とある。中太りの童を呼び寄せ、用具を使わせて慣れさせ、少ししてから少し大きめの張形(ディルド)を用いて肛交(アナル拡張)の練習をし、よく入るように潤滑剤(ローション)として丁子油 (テンニンカ科の喬木。
その果実から抽出した油)を塗布して、尻の穴へ挿入すると、述べている。
黒い木製の張形を使っている図の詞書きには、
さらば、いまちとふかく、つき人て、さてあらん。
とあり、太めの張形が中程まで童の肛門へ挿入されている。
「さあ、ここまで行ったからには、もう少し深く突き入れて、やってみようではないか」という訳であり、まさにアナル調教そのものである。
鎌倉時代前期には、木製の張形が実際に使われていた事が読み取れる。
女の自慰用(オナニーグッズ)としての最古の文献としては、艶本の祖される『袋草紙(ふくろそうし)』(元享頃。別名「袋草子」「太秦(うずまさ)物語」)である。
原本は徳川家に伝来したと言われ、現在ではその写本が数種類存在するといわれている。
絵は巨勢飛弾守惟久(こせひだのかみこえひさ)とも言う。
『推児草子絵詞』と同時代であり、吉田兼好の『徒然草』と同時期の鎌倉末期のものである。
太秦近辺に住んでいる位の高い男旱(おとこひでり)の尼が、好色な法師を袋に入れて、邸内へ招き入れ、夜毎に交合を重ねるが、さすがに疲労が頂点に達した法師が、人知れず放り出されるという好色な滑稽譚である。
法師と嬌態に耽って、御台の尼が絶頂の声を上げる。
それを隣室で耳にする三人の御殿女中が、我慢出来なくなって「御用のもの」を取り出して使う。
その記事は、
もてる調度の中に御用のものとて、やんごとなき姿やうのもの候へば、先づ今宵はこれにてまじないあけ、そのおさたとて、くだんのものを取りいだし侍(はべ)りつつ、三人おもひのままにて、はじめけるとかや。
とある。
ここに明記されている「御用のもの」(「御養の物」とも)とは、張形の別称であり、また「やんごとなき姿やうのもの」とは、別に「お姿」とも称された張形そのものを指している。
自分たちが所持している品物の中に「御用のもの」という、男性のペニスと似た物が あるので、今夜はこれを使って楽しみましょうと、張形を取り出して、三人の女中たちは、衝動の赴くままに、張形でオナニーを始めたとかいう事です…と、婉曲的な表現で描いている。