江戸時代の婦人薬
経口避妊薬「朔日丸」(ついたちがん)
この薬は、仲條医が売り出し、他の店でも委託販売をしていたという。
この丸薬は毎月の朔日に服用すれば、男性とセックスをしても妊娠しないという画期的な経口剤であった。
江戸中期(1700年代)には実用化されていたピルである。
朔日を呑んで曇らぬ月を見る
宝暦七(1757)年の収月という選者が選んだ万句合に載っている句である。
その名の通りに月の最初の日に、朔日丸を飲んで、男との性交の快楽を十分に味わっても「曇らぬ月を見る」(順調に月経が来る)という意味である。
この句では、「朔日に」ではなく、「朔日を」となっているので、明らかに「朔日丸という丸薬を」と意味している。
もう、この頃からピルとして一般的に使用されていた事が分かる。
霜月の朔日丸を茶屋でのみ。
霜月は江戸の女たちにとって、大変な月である。
十一月の一日から、江戸の歌舞伎は顔見世興行を始める。
芝居見物に熱狂する女たちは、争って桟敷を買い求める。
早朝のまだ夜明け前から開幕となるので、見物客は朝早く芝居茶屋に到着する。
ここで着替えたり、トイレを済ませて、その後、芝居小屋へと案内される。
朔日丸を常用している女たちは、観劇中に丸薬を飲み忘れる事があるため、この茶屋に着いた時に、最初に水を貰って丸薬を服用する。
屠蘇(とそ)よりも先に一粒後家はのみ。
新春正月の元旦に屠蘇(とそ)酒を飲んで家中で新年を祝うのが常であるが、男遊びに余念のない後家さんは、何よりも先に「一粒」(丸薬の一錠)を飲むのである。
みそかごと有るで朔日売れるなり。
「みそかごと」は極秘なことの意であり、また「晦日」の意味もあり、「朔日」との語呂合わせになっている。
亭主のいない女たちも、人知れず男との密会を重ねるという秘めたる現実がるから、「朔日丸」などという妙薬が売れるのである。
本句は「柳多留」百三十二篇(天保五-1834刊)の掲載句で、先に引用した収月評の句から実に77年後になる。
こうも長期に渡って愛用されていた経口避妊薬であるが、副作用がどうであったかは定かではない。
『艶色秋之七種』(天保3-1832年)より