江戸時代の勃起不全
提灯で餅を搗く
吉原遊廓へ頻繁に出掛けるような年寄りは、とても若い見習いの女郎目当てに遊びに行くのが常でした。 今でも同じですが、自分よりもかなり年下の若い娘と男女の関係でいると、心身ともに若返る気分になれたのではないでしょうか。
御隠居の提灯入れは十八九。
と詠まれる。若い見習いの女郎とは、自分専用の部屋もなく、先輩の女郎の下で見習いをしている売春婦のことです。
普段は隠居暮らしでおとなしくしている老人の唯一の楽しみといえば、売春婦との遊びに精を出すくらいだったのでしょう。
そこで、若い時のような逞しいペニスとは程遠い萎縮しがちなフニャチンとセックスしてくれるのは、18~19歳くらいの若い女の子、つまりは見習いの女郎でした。
そんな女郎を、老人のフニャチン(提灯)置き場!?のような例えが面白いところです。
別義として「提灯入れ」という秘語があり、女性の性器の別称となっています。 そこで、この「18か19」歳の女の子は、御隠居さんの若い妾(めかけ)とも解釈できます。
美しい手で提灯の皺を伸し。
若く美しい妾。インポ同然の旦那の「提灯」を手弄し、なんとか勃起させようとしている状況です。
セックスで奉仕するのが妾の仕事ですから、お客が完全にセックスが出来ない状態にでもなれば、解雇されてしまうので、懸命に勃起させようとするわけです。
俗諺に「提灯で餅を搗く」というのがありますが、通常は物事が思うようにならない例えですが、この俗諺を、下ネタ風に解釈して、勃起しないペニスでセックスをしようとして頑張っている様を「提灯で餅を搗く」と言ってます。
洒落本の『当世爰かしこ』(安政四-1775年)の序文に、
そなた百まで、こちゃ九十九まで挑灯で餅つき祝ふ茶呑友達の余情もいろいろの…。
とあり、隠れた通言として知られていました。
艶本の『女貞訓下所文庫』(明和初-1766年頃)には、
男は年たけて淫勢の矢さきをうしなひ、あたかも提灯にて餅をつくがごとし。
とある。
「淫勢の矢さき」とは、簡単に言うとペニスが力強く勃起して女性に挿入する様で、老いてしまい、かつての精力が失われてしまった状態を書いています。「あたかも提灯にて餅をつくがごとし」とは、勃起できなくて女性に挿入したくても、ぜんぜん入らない様を表しています。老いてセックスがしたくてもできなくなった悲し現実だったわけです。