江戸時代の秘薬
燻煙の「惚線香」(ほれせんこう)
男女の嗅覚に作用して、催淫効果のある燻煙剤を俗に言う「惚線香」といいます。
当時の文献によると、「蘭凌香」(られんこう)、「紅毛馨香」(こうもうけいこう)、「女乱香」(にゅらんこう)という商品があったようです。
艶本の『百慕々話』(明和八-1771年)に殿様のお手付きとなった御殿女中が奥勤めを止めさせられて自殺し、その亡霊が語る凄絶な閨の責めの言葉が書かれています。
(略)あれあれ御らんぜ。
あの真っ黒な縮れ雲。
一チに累鬼、二に赤鬼、三白鬼にすぼけ鬼、みなみな我身をせめさいなみ、まだその上に修羅のありさま。
兜、胴巻にて身をかため、長馬場に乗りまわ廻され、しつぼりと汗をさせ、けむりの責めは焚香、線香、鑞丸にうつつとなり、又ある時は肥後ずいき、ゑぐさかゆさ、せせりこそぐり指人形、長命丸と名にも似ぬ、殺したり生かしたり、春薬たいなく疲れ果てて、りんの玉しゐもとぶかと思はれ、いとど上下、右左り、わざとはづして気を持たせ、思ふやうにならぬこそ、これぞ地獄のありさまなり。
当時は、閨房専用の秘具や秘薬の事を、閨の責め道具と称して、この責め道具を具体的な名称で表現して、人間の業による快楽の追求の具に供された女性の心情を描写しています。
「煙の責めは焚香、線香」とは、、その香りに陶然となった様相が述べられています。
四つ目屋の引き札には、「おらんだ長けい香」と記され、燻煙用の催淫剤も販売されていたことがわかります。
『独寝』(享保末-1723年頃)には、人から伝聞の事として、
二十年計以前に、長崎へ線香わたりぬ。其線香、竹しんかうのごとく、竹にねり付し物也。此香、淫薬也。床に入りてかの香をたくと、其匂ひを女の鼻に入れ、しばらく有ていか成勤の女郎にても、たちまち野干の姿をあらはし、殊の外させたがる物也とかや。
とあります。
これによれば、元禄の末年には長崎に海外より渡来していた事が分かります。
この「惚線香」は、川柳にはまったく詠まれていないのは、何故でしょう。
実際に使うとなると、また焚香をする準備・器具の用意など、手間も掛かるし、奥の間などの離れ座敷でもないと香りが四散するので、使い勝手が悪く、川柳作者たちはあまり使用経験がなかったのではないかと思われます。