江戸時代の女性用塗布薬
指に付けて挿入する性感増進薬の「蝋丸」(ろうがん)
「媚薬」とは、性欲を促進させる薬というのが一般的ですが、「蝋丸」は女性の性感を増進させる女性専用の秘薬です。 この「蝋丸」は延宝頃(1678年頃)からの文献に現れ、江戸の初期には一部の通人には知られていました。
江戸の代表的なアダルトショップは、両国にあった四つ目屋忠兵衛店です。
四つ目屋という屋号は、近江源氏の佐々木家の家紋「四つ目結」の商標に由来します。 この四つ目屋の引札には、「阿蘭陀ろう丸」と記され、海外からの渡来品として特効があるように宣伝していました。
蝉丸を蝋丸とよむ四つ目の子
いつも引札や張札で「蝋丸」という文字を見慣れている四つ目屋の子息が、正月の百人一首のカルタ遊びで「蝉丸」という歌人の名を見ると、蝋丸とつい読み間違えるという諧謔です。
この丸薬は、内包した生薬の成分が外気に触れないように、外側を生蝋で丸めたものです。 艶本の『檜本かいだんのよるのとの開談夜之殿』(文政九-1826年)には、これを用いる場面が描かれています。 芸者上がりの妾とその旦那の取り組みです。
「アノ奥書きに有ります女郎に気をやらせる法といふのがございますよ。
あんなにしたら本当によかろふねへ、今夜はあの通りにして見て下さいましな」
「それよりまだいいものを貰って来た。これは本当の物よ。長崎の蝋丸といふ薬だから、今夜つけて見やう」と鼻紙袋より出して見せる。
「ヲヤ、丸い綺麗なものだねへ。しかし気味が悪いねへ」
「ナニサ、気味の悪いことはねへ。コリヤァ唐人の用いる薬ヨ」
「毒じやァナイカヘ」
「ナニ、毒なものか。長崎の女郎へ唐人がこれをつけてすると、どのやうなたしなみのいい女でも、取り乱して夢中になるといふ事だ」
「お前様のは、そんなものをつけないでも、いいよ」
「ところを、なほ良くするつもりだ」
(下女が鰻とお茶を運んで来る。男は食べおわる)
「ヲヤ、何だかいい匂ひがしますねへ」
「この薬ヨ」
と蝋丸の中の薬を出して、玉門の中へ中指の腹にて差し込み、そろそろと空割をいぢり、片手に煙草をのみながら見てゐる。
暫くして、玉門の内、少しむづ痒く痺くなり、しきりに淫気催すゆへ、女は上気して日を細くなし、男がそばへすり寄って、「コレサ、旦那、いつまでそうやってお出だヨ、なぜそんなにおじらしだねへ」
と男が手を持って玉門の中へやる。はや淫水ぬらぬらするやうに湧き出る。
「モシ旦那、アレ、モウ今日はなぜこんなにいいねへ。旦那々々、アレサ、なぜそんなにじっとしておいでだよ、どうもこりやァ、どうでも薬のせへかして、いつもより、どうもどうも、それそれ、こんな気が、エエビうも」と男の首にしがみつくゆへ、おえきったる一物を、唾もつけず玉門へのぞませて、づぶづぶと毛際まで惜しげもなく押し込めば、女はなほも夢中になり、
「わたしや、もうどうしやうねへ、アレサ、よくって、死ぬかも知れねへ、ソレモウ、いくよ、アレアレ」ト淫水玉門の中より流れ出て、男が両の太股へしたたりかかり、互ひに舌を吸ひ合ふて、すかりすかりと四つ五つ突きならして、口元へぐつと抜き、その身も少し下へさがって、あたるやうに浅く突き、子宮の口までぐつと届かせ、ぐつぐつと突き立てられ、女ははや世迷い言いふ元気もなく、疲れ果てて炬燵蒲団もいつの間にか踏み抜いて、両足をあらわに出して枕をはづし、畳へ顔を押しっけてべったりとなり、息ばかりスウスウとしてゐたりける。
この後、男もたまりかねて射精して、二人はぐっすりと寝込む。
この蝋丸は回りの蝋を外すと、よい香りがするものらしい。
男は中指の腹に薬剤を付けて、膣壁に塗り廻すとしています。
薬剤がしみ込むまで、暫くは間を置くこともわかります。
女性のアソコが温痒感を覚えて性欲が増し、「どうもこりやァ、どうでも薬のせへかして、いつり、どうもどうも、それそれ、こんな気が、エエビうも」と激しい性的興奮を口にするほどになる。
そして、愛液を大量に分泌させるに至る。
蝋丸を催淫薬として使用すると、このような具合になるという艶本作者の描写でした。